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 「あんな阿呆なことを“スポーツ”と称して真剣にやる人なんて、いったいどこのバカなんだ か・・・」。15年前、サラリーマンになっても競泳選手を気取っていたどす鯉は、佐渡国際トライア スロン大会が開催されたばかりの15年前は、そんなことを考えていました。しかし、年を越すた びに肥えていく体をみて、さすがに「これではアカン!」と思い立ってこのスポーツを始めてし まってから、なんと今年で14シーズン目。長いキャリアになり、あんなに苦しかった初レースの 51.5kmくらいの距離は、普段のトレーニングでもこなしてしまうまでなりました。しかし、ロ ングのレースでは、今でもスタート前から初心者の頃と同じ不安と緊張感を味わわせてくれます。 そのロング・レースでも、毎年人気投票のトップを争う宮古島の20歳(はたち)の記念大会に、 加藤Peさんとマリヲちゃんとともに参加してきました。どす鯉は、国内では最も「トライアスロ ンらしさ」を残していると思われるこの大会に、第10回大会の初登場以来、今回で6回目です。 そのReportをどす鯉の魚眼レンズを通してお伝えしましょう。

【4月22日(木)レース3日前】
 どす鯉は、年中行事として家族を引率して宮古島に来ることにしているのである。また、せっ かく沖縄本島から更に300kmも離れた南国の島にきて、レース関係行事だけでこの旅を過ごすの は勿体無いので、木曜に移動をしてできるだけゆっくりと過ごしたいと思っているのである。  空港に降り立つと「今日から宮古も暑くなったサ!」といって、「てぃだ(太陽)」と「うりず んの風」が出迎えてくれた。気温は28度。暑いワケだ。気温だけ聞けば、本州の夏の方が暑いと 思われそうだが、ここ宮古島の紫外線は本州の1.5から2倍はあるそうで、露出した肌に「突き 刺さる」という表現は、この島で言われ始めたのではないかと思うほど強烈である。風に椰子の 葉もワサワサと揺れ、空はあくまでも青く、低い雲が風に千切れて流れている。サングラスをし ても眩しすぎる「てぃだ」の光が降り注ぐ。  早速、レンタカーでレース本部のある平良市総合体育館に向かい、受付完了。ゼッケン番号は 左翼(#349)、キワドイ番号なのだ。ちなみにPe加藤さんは珊瑚煮(#352)、マリヲちゃんはサ バオ(#380)。会場前で、大会スポウンサーのPapasが毎年枚数限定で発売しているポロシャツ の購入を試みるが、今年は胸にチョロッとPapasと大会マークがあるだけの非常にシンプルなデ ザインであったため、即刻購入中止。Papasによれば、完走記念ウエアを懲りまくったパーカー にしたので、ぜひ完走してもらって欲しい、楽しみにしてくださいとのこと。当然であるが完走 しないともらえないので、パーカーを貰うためにナニが何でも絶対完走することを心に誓ったの である。どす鯉はイヤシイので物欲に弱いのだ。  宿は、バイクコースの約15km地点にある「ゲストハウスゆくい」。大阪のバイクショップ「ア トリエ・ドゥ・キャファ」の店主、辻本さんが紹介してくれた民宿で、お世辞にもキレイとはい えないのであるが、どす鯉一家がオシャレなリゾートホテルにも泊まりたがらないほど居心地が いいのである。 一息ついて、風光明媚なバイクコースのハイライトの一部である池間大橋を渡り、池間島1周約 10kmのバイク試走に出かける。東京ではもう日が傾く午後4:30だというのに、西の果ての離島 はまだまだまだ明るい。池間大橋の海上20mから眺めるリーフと夕陽の風景がきれいだ。通常、 選手はレース当日に涼しい曇り空を期待するようだが、どす鯉は「今日のようないい天気」のほ うがビーチやリーフの色が凄くきれいになって好きなのだが・・・。こどもたちにお願いして、 TackieさんとPe加藤さんの似顔絵テルテル坊主を作ってもらったら、あまりにも本人にソック リ過ぎて笑えなかった・・・。 夕飯まで時間が余ったので、どす鯉と友人の子供たちを連れて近くの池間漁港に釣りに出かけ た。人気の全くない漁港で、とても魚がいるとは思えなかったが、たった30分ほどで巨大なフエ フキダイ2尾とスズメ鯛(エンゼルフィッシュの親玉みたいなの)1尾が釣れたのだ。ただの暇 つぶしに来ただけだったはずが、とんだご馳走が手に入って一同笑いが止まらなかったのであっ た(あとで、ルミ姉の話によると、漁港内にある鯛の加工工場から排泄される頭や内臓をあさりに サメも寄って来るらしく、湾内に飛び込んで泳いだりしないようにとオソロシクも意外な注意を された。もっとも、巨大なダツもいるので泳いだりはしないけど)。 宿に帰ると、ここで1年ぶりにあう選手たちが4〜5組到着していた。夕食後は、レース当日に ここ狩俣集落のエイドステーションでボランティアをしていただく予定の青年団ご一行様が飲み にきて、早くも20周年記念大会を祝う一大パーティが始まってしまい、なんと翌朝4時近くまで 地酒「千代泉」を酌み交わしてしまったのである。聞けば、建設業などに従事している人は、仕事 をさっさと片付けてしまうと次の仕事まで遊んで暮らさないといけないので、適当に工期を引き 延ばすので、たまには二日酔いになって仕事をサボってもいいらしいとのこと。どこまでホント かウソか・・・。 つづく。

【4月23日(金)】
 23日(金)は朝から大雨だ。風も相当強い。夕方の競技説明会では、「本日の風は、海上9メ ートル、レース当日は10メートル以上の予報」とのアナウンスがあり、一同「エエ〜ッ!」との こえがあちこちから上がり、会場がざわめいた。 南国のstorm。昨日の天気予報がバッチリ当たった。それによると、レース当日は午前中曇りで 昼過ぎから晴れるという。今日の雨天ではどうにも身動きが取れないので、レースの準備をして 午前中を過ごす。MIGHTYの文字がクッキリとうかぶチーム・ジャージをみて、どうやってこの 長いレースを組み立てようか、などとこれまで考えたこともないことを考えてみる。MIGHTYの ジャージを着るからには、たとえ途中で倒れることがあっても消極的で後悔だけのレースはした くない、と無意識のうちに思っているのかもしれない(それにしては、昨晩はよく飲んだなぁ)。  そんなことを思っていると、腹が減ってきた。近所の食堂「すむばり」に、宿泊者一同で押し かけた。ここは「タコ飯」「すむばりそば(宮古風ちゃんぽん)」が泣けるほど美味くて毎年必ず2 回は通うことをノルマとしている。その前に生一杯!う〜ん、暑い日の昼ビールは最高にウメェ のだ!  Pe加藤さん一家は初めての宮古島で、キレイな景色を楽しみにしてくるのだろうに、宿泊料金 の高い東急リゾートホテルに宿泊して荒れた海しか見えないのではかわいそうだなぁ、などとふ と思う午後2時過ぎ。たしか、羽田からの宮古島直行便で来るはずなので、午前中にはこちらに着 いているはずである。しかし、何も連絡がない。ハテ?  今日のワイド−・パーティに合流する約束になっているので、Peさんに電話をしてみた。でた。 なんだ、もうホテルに着いてるじゃないスか。でも、声の調子が低いなぁ。Peさん、今日は天気 悪くてあいにくだけど元気出して行こうよ、とチラと思ったそのときに「なんだか知らないけど、 ホテルがキャンセルになってるんですよ。せっかくここまで来たのに、泊まるところが無いんで すよ」とPeさんから爆弾報告を受けたのであった。そうだったのか。Peさんがオロオロする姿 を思い浮かべる前に、パピーがゴールできるかどうか不安で堪らずに応援に来た麗しの美女応援 団が当惑している姿が目に浮かんだ。  ワイド−パーティで合流した時点でもまだ宿泊先が完璧に決まらず、Peさん血圧が上がりっぱ なし! 口を開けば「あの代理店の阿呆が!バーロー!ワシを誰だと思ってんだ、Peコムをなめ んなよ、ケッ!」とののしる言葉ばかり。そのあとに、「これから一家で、椰子の木の下で野宿す るしかないのか・・・」シュンと音が聞こえそうな落胆ぶり。金(本日)、日、月の3泊はなんとか東 急に押し込んでもらえたそうだが、肝心のレース前日の土曜日の宿がどうにも決まらない。そこで、 仕方がないのでどす鯉一家がアジトにしている「ゲストハウスゆくい」の離れをお世話してあげ ることになった。Peさんはマァどうでも、麗しの美女応援団が1泊でもしてくれると宿が華やい でいいなぁ!(せっかくだから、東急なんてキャンセルして全泊「ゆくい」にしたら?)  そんなこんなでとりあえず話がついたあとは、ワイド−パーティーのメインイベント、大会テ ーマ「波に乗れ、風になれ、二十歳のストロングマン」の考案者の功労賞表彰である。つまり、殆 どの選手が集まって盛り上がるこの体育館のステージにどす鯉が上がり、大会会長から「あんた はえらい!」と表彰されるのである。予定の時間に、ステージ向かって左の「招待者席」に過去 の優勝者たちと並んで待つこと30分。先に、過去の優勝者の表彰があった後に、いよいよどす鯉 の登場である。ステージに上がる前に、水で口をゆすぎ、階段脇にある粗塩を水戸泉張りにプワ 〜ッと威勢良く巻き上げてから壇上に上がるのがどす鯉流である。しかし、塩が無いぞ? 係員 にその旨を話すと「そんな、土俵入りでじゃないんですから!とっととステージに上がってくだ さい!」だって。「どす鯉はトライアス力士なんだぞ」と言ったのですが、聞き入れてもらえませ んでした。ホントにザンネン。でも、来年もテーマ募集に応募して採用される予定なんだから、 今度はちゃんとシオ用意しておくんですよ!  さて、ステージに上がると「お、おおッ、思ったよりずっと広い!」と思った途端になんだか キンチョーしてしまい、ロボコン歩きになってしまった! 大会会長からキンチョーの面持ちで たいそう重たい記念品を受け取り、「賞状はないんスか?」と質問するヒマも与えられず、「ハイ、 お帰りは左側からです」とさっさと壇上から下ろされてしまった。途中、ステージ下から「なん かヤレー!」と声がかかったが、「シェ−」といって飛び上がるのが精一杯。ステージを降りると、 通訳らしき人から「何だかよく分からなかったのですけど、どうしてあなたは表彰されたのです か?」と質問されてしまった。「カクカクしかじかです」と申し述べると、すかさず通訳女史は「ク ェ〜ッコッコッコッ」と側にいる選手たちにひとこえ通訳してあげると、思いもよらず彼らの顔 がパッと明るくなり、「そ、そうだったのですか。それは素晴らしい!」と絶賛されました。ホン トに分かってるのかいな。しかし、彼らの顔が突然明るくなった理由は、レース当日の夕方にな って始めて明かされるのであった。 さて、今日は疲れたので酒も飲まずにさっさと寝るか。と思うまもなく、午後10時にはドロの ように寝てしまった。同宿のヤローたちといえば、またもや2時近くまで飲んでいたようで、遅 くまで食堂でにぎやかな笑い声が響いていたのであった。既に雨はあがっていたが、風はまだつ よい。部屋の中では、どす鯉が寝そうになると泣きヤモリが「けけけけけ」と鳴いてくる。庭の 芝生では、朝鮮サザエの殻を家にした巨大な島ヤドカリが闊歩し、宮古島大会の2日前の夜はふ けていくのであった。

【4月24日(土)】
宮古島にきて、もう2日も過ぎてしまった! 今朝は雨が上がって薄日がさしているものの、まだ強風が続いている。アジトの「ゲストハウ スゆくい」の庭の椰子の木の葉もザワザワと揺れている。どうやら明日のレースでも、風は終日 止みそうにない。江戸川の突風はそんじょそこらでは体験できないと思っていたが、まさか宮古 島のレースでも追体験することになろうとは夢にも思わなかった。明日は向かい風を受けてバイ クを走らせる覚悟を決めないといけないようだ。万が一スイムがなくなったら、どす鯉は遠足モー ドだ。 さて、本日の予定は、午前中にスイムおよびバイクのスタート地点である東急リゾートホテル にバイクを預託し、本日宿無しとなったPe加藤御一家をピックアップする。そして、スイム会場 の前浜ビーチでチョイト泳いだら、アジトに帰るその足で平良市街地に突入して土産物を購入す る。あとは、アジトの風呂入って飯食って早めに寝るだけだ。 バイク預託には、狩俣集落の宿から約20kmの自走である。バイク・コースの前半をそのまま 逆走して追い風の中を時速37−38kmで走る。明日はこの風が前から吹いてくるのか。どす鯉は 追い風は非常に仲のよいお友達だけれど、向かい風は嫌いなんだよなぁ。一昨日も少し感じてい たが、ペダルを踏み込むと左臀部から大腿外側にかけて針金でも通ったかのような「張り」を少 し感じる。レースでは思い出さないでおきたいところだが、一抹の不安を覚える。長いレースでは、 どんな種類であっても「ストレス」を感じ始めると、その後の距離と時間がとてつもなく長く感じ てしまう。せめて天気だけでも回復して欲しいものだ。 東急リゾートホテルに到着すると、ドッと汗が噴き出した。体のスイッチが少し戦闘モード(銭 湯モードではないのだ!)に入ったようで、いい緊張を感じる。 Peさん一家と合流したが、結局、ツアー会社からは今日の宿泊先を確保できたとの連絡はまだ なく、予定通り(?)どす鯉のアジトに一家で来ることになった。Peさんと共にバイクをトラン ジションに預けて、どす鯉は子供等が遊ぶ前浜ビーチへ飛び込んだ! あっ!そういえばどす鯉 は淡水魚なので、ワセリンを脇の下に塗らないと擦れてイカンのに、塗らずに飛び込んでしまっ た! が、心配に及ばず脇の下を擦らずに済んだのであった。バイクコースはひどい強風だった のだが、海は正反対で沖まで凪いでいた(そういえば、仕事の相手先に「凪子(なぎこ)」という 変わった名前の人がいたなぁ)。4日ぶりのスイムであったが、入水からキャッチが意外と決まり、 肘もたつので調子は悪くないようだ。好調を感じながら、その辺に群れている選手たちをゴボウ 抜きにして、「どうだ!」とばかりに早くも力量の差を見せつけてやったのだ! 前浜ビーチは、宮古島では数少ない白砂の綺麗なビーチなのだが、熱帯魚さまがあんまりみら れないところでもある。ところが、今年は波打ち際から10m程のところにブロックを積んだ漁礁 が作られており、そこに数十匹のお魚さんたちが群れていた。中には、ニモ(カクレクマノミ) もいて、こどもたちは大喜びであった。どす鯉も、海水であることをしばし忘れて、熱帯魚たち とワタムレて交流を深めたのであった。 アジトに行く途中、平良市中心の中里通りに車を止め、土産物を物色した。Peさんとタッグを 組み、ひたすら泡盛やビールを買い込んだ。Peさんご一家は、みな勤め人のため、同僚用にと名 店モンテドールの「ストロング饅」12個入りの箱を一度に10数個も現金購入したもので、店員が 腰を抜かしてしまった。Peさんは、泡盛記念ボトルや大会記念ビールもc/s単位で購入し、相 変わらず財力に任せてすさまじい購買力を見せつけていた。土産購入選手権があったら、間違いな くトップ5に入るであろう。  さて、ようやく今晩のアジト「ゲストハウスゆくい」について、Peさんと明日の作戦を練る。 もっぱら「どのあたりでナニをどの程度食うか」という「腹の虫との意見調整」で終始した。 ゆくいの今晩のメシは「ソーキそば」と「紫の古代米定食」であった。レースの前日だという のに、2食分くらいもある量である。Peさん一家の麗しの美女応援団はこの量を裁けるかどうか 心配であったが、何と、全員が殆ど残さず食してしまった! どす鯉でも平らげるのが大変だった のに、彼女達の消化管はまるでバキューム管並なのであった。ス、凄すぎるのだ。 さて、トイレによって時計を見るともうすぐ9時。いつもは翌日まで泡盛「千代泉」を飲んで にぎわう食堂も、今日は既に明かりが落とされている。外はまだ風が強く、時に小雨が混じってい る。明日のレースはいったいどうなるのであろうか。そんなことを考え出すと、いよいよ緊張感 が高まってきて、寝付けないのであった!

【4月25日(日)レース当日】
 レース当日までに、ワード10.5ポイント文字で約4.5pも費やしてしまったが、やっとレース 当日となったのである。 朝、自分が先に起きてアラームがなるのを待っていたように3:45に起きた。同宿の選手たち も一斉に食堂に集まってきた。Peさん一家は、スイムスタートから応援のため、パピーと共に早 起きして集まった。朝めし、朝めし!朝めしはまだか!! なんとアジト「ゆくい」の女将が寝坊を して我々と同じ時間に起きたために、メシの時間が30分も遅れたではないか! しかし、昨晩山 ほどの夕飯を食べた腹は、そう簡単には空かなかったので、いいインターバルになったかもしれ ない。 さて。予定通り5時丁度に車2台+Pe家レンタカーの計3台に分かれて、スタート会場の東急 リゾートホテルに向かう。嫌なことだが、予想通り風は強いままだ。前浜は荒れているだろうか? 道中およそ20分の間に空は白み始め、どんよりとした曇り空が見えてきた。雨が降っていない のがせめてもの救いだ。東急リゾートの芝生の庭には、アトリエ・ドゥ・キャファの辻本さんが既 に我々を待っていてくれた。辻本さんは、今日はアマチュアカメラマンの岩佐さんと共に、レー スを取材することになっている。早速、当日受付を済ませて(ここでは、古式ゆかしきマジックで 左腕と左腿にレースナンバーを書いてくれる)、バイクボトルのドリンクを作る。トップ選手も、 準備に余念がなさそうだ。小原くんはジョグをはじめ、田村くんはバイクのチェック。谷くんは ホテルに向かうところをみると、個室にしゃがみに行くのであろうか。どす鯉はもう済んだぞ! さて、45分前だ。準備運動でもするか。皆はもうマワシ(ウエットスーツ)と大イチョウ(キ ャップ)をつけている。マタワリ、テッポウ、四股踏み、すり足などなど、どす鯉専用の特殊体 操を終えると、だんだんアドレナリンが出てきたぞ! そして、脇や襟首にディクトン・ムースを 塗り、Kijafa製の「マワシ」を着ると、ひとつ深呼吸をして「よぉしっ!」と気合が入った。も う、号砲一発鳴ったらいけるところまで行くしかない。 スイム・コースは昨年から若干変わり、潮の流れに沿って右側に500mほど沖にでる。第一ブイ を右に鈍角にターンし、そのまま1.2−1.3kmほど浜辺と平行に泳ぐ。そして第2ブイを鋭角に 右に曲がってスタート地点まで戻る逆三角形である。スタートの並ぶ位置は、自己申告制でタイ ムによって3〜4ブロックに分かれている。「エリート」がもっとも右側(第一ブイに最も近い位 置)で、左に行くに従って「1時間以内」「1時間30分以内」・・・と続く。どす鯉は45分前後 のタイムであろうが、「エリート」ではないので「1時間以内」の最も混まないと思われる左側の 2〜3列目に陣取った。第1ブイからは遠い位置なのだが、潮の流れに乗ってバトルを回避して泳 げると算段した結果である。ここでPeさんと今生の別れかと思うほど固い握手をして、各々の位 置に着いた。 「3分まえ」「1分まえ」「10秒まえ」おお、いよいよスタートだ。もう一度、第1ブイの位置を 確認して・・・な、なんだ?最前列の連中がフライングで前に出だした。ま、まずい、と思った ところで「伊志嶺市長による号砲です・・・スパン!」とスタートの合図が鳴った。もうアカン、 とにかくおよがなアカン!ややあせりつつのスタートであった。 スタートが最前列でなかったため、前後左右にいる連中のキックが邪魔で仕方がない。前を泳 ぐ選手が邪魔で前にでようにも出られない。そうこうしていると、後ろから来る選手が背中に乗っ て沈めようとしてくる。タコ殴りだけは逃れたが、頭に血が上っている。クソッ!海水を飲まな いように大きくローリングするが、息を大きく吸おうとするとウエットスーツの締め付けが苦し く、呼吸が乱れているのが分かる。まずい!誰も自分を気にかけてくれない周りが冷たい世界に見 え、パニック状態に陥る。溺れるかもしれない、という恐怖感が背筋を走った。ここは、ひと先 ず呼吸を整えなければ、と思い、しばし平泳ぎをする。しかし、周りはわれ先にと暴れ泳ぐ素人泳 者ばかりだ。もう少しスマートに泳げんのか!! と思っても空しいばかり。そんなことを3回ほど も繰り返しただろうか。肩肘をぶつけ合う混雑さが少し緩んできたところで、ゆっくりと大きい strokeでしばらく泳ぎ、リズムを掴んでから少しずつピッチを上げることにした。そうだ、だんだ んと呼吸も体についてきたぞ。しかし、既に前には暴れん坊泳者たちがわんさかといる。完全に スタートに失敗した。 しばらく泳いでも前がつかえて仕方がないので、一旦左側(潮の流れに逆らう方向になる)の 空いているスペースに出て、前をパスする作戦に変更だ。周りに暴れん坊がいなくなると、落ち着 いてきて完全にペースに載ってきた(が、遅過ぎた!!)。すると、すぐ第1ブイが見えて右にター ン。ここから選手は縦長になり、ロープから離れて少し左にでると前を泳ぐ邪魔者がいなくなっ た。自分でも怪鳥(クエ〜ッ!)と思える軽快なピッチでどんどん選手を抜いていく。コースの 1/5ほども泳いでから、ようやく「波に乗れた」気がした。 目印の第2ブイはとても見えないので、20〜30mほど前を行く選手を目印にして、どんどん抜 いていく。しかし、バイクやランと違って、スイムの追い抜きは、方向を突然変えた奴が急に目の 前を横切ったり、自分から少し方向転換をして追い抜かなければならず、なかなか大変なのであ る。先頭を引いているであろう船がかなり先に見える(ような気がする)。第3ブイをターン。こ こからは潮に逆らって泳がなければならない。自分でたびたび方向を確認しながら泳ぐのは面倒 なので、前を行く選手の影を目印に、コース右側(沖のほう)を泳ぐことにした。ここまで来る とかなり選手はバラケてきており、そこそこの泳力の持ち主もいるので、抜いていくのもなかなか 一苦労になってくる。どうやら、同じ泳力の選手たちは、まとまってかなり先に行ったようだ(あ たりまえか)。 ゼッケン二桁の外人選手と共に、浜に上がった。視界には5〜6名の選手が等間隔にスイムゴー ル・チェックを目指して浜を走っている。後ろは見ない。ゼエはァッ、ゼエはァッ、ゼエはァッ。 寝ている姿勢から急に体を起こして砂浜を走るのは、いつもながら呼吸が乱れて苦しいものだ。波 打ち際から東急リゾートホテルの中庭を抜けてバイク・トランジションまで、すごい人垣だ。誰 か知人がいるのかどうか知らないが、見知らぬ人もこちらを向いて応援している(ような気がす る)。Peさんの家族はいるか? 辻本さんはもうトップを追ってバイクコースに出ただろうか?  走りながらウエットスーツを脱ぎ、#349の自分のバイク・ラックへと走りつづけた。 足についた砂を適当に払い、heart rate monitorから順に装着していく。MIGHTYの新しいパ ンツをはき、ジャージのジッパをあげると、身も心もバイクの臨戦体制に入った。ドスこいっ! トランジットに群がる応援者の声援を背中に受け、「風になって」バイクコースに飛び出した。 ...(つづく)

(「宮古島屁の満」後半)
バイクに乗ってから風が気になる。Heart rate(以下HR)をみると、158bpmまで上 がっている。練習中でも145bpmを超えるとかなりキツくなるのだが、いまのところ数 値ほどの苦痛は全く感じられない。モニターの故障かと思ったが、150〜156bpmを 行ったり来たりしているのでどうやら正常のようだ。調子がいいのか悪いの か・・・。 平良市街に入る手前の5kmほどの地点、斜度4-5%の緩い登板を登って脚に負荷が かかると、左臀部から大腿部にかけて筋肉痛を覚える。スタートしたばかりだし、こ の向かい風なので、最後まで元気にペダルを回しきれるか心配だ。 その後、市街地外周道路から狩俣・池間大橋の北に向かうと、風は相変わらず強くサ トウキビの葉を大きく揺らしているものの、少し横風か追い風になることがあり、HR も140台に下がった。狩俣のエイド・ステーション(以下AS)では、家族をはじめ 「ゲストハウスゆくい」の応援団から大声援をもらってこの間約500mだけ45km/hrで 走り抜けた! あとでとっても疲れたぞ。 狩俣ASの入り口で「ナニが欲しいですかぁ?」と拡声器で聞かれたので、待ってまし たとばかりに「千代泉ぃ!(狩俣で醸されている泡盛っス)」と答えたら、ASテント に向かって「・・・・・・お〜い、千代泉あるかぁ!チヨイズミー!」と、しっかり ジョークを受け取ってもらえたので、凄く嬉しかった! 狩俣ASはサイコ−さ! さて、例年なら狩俣集落のずっと手前、養護学校あたりでバイクの先頭とすれ違うの だが、今年はどうしたことか池間大橋の中間地点を過ぎたあたりでやっとすれ違っ た。自分が調子いいのか先頭が遅いのか? とりあえず気分いいぞ! 先頭の選手た ちは、強風でバラケている。みな、低い姿勢をとって風を避けているのがわかる。自 分の往路のスピードが40kmオーバーなので当然か! 池間島1周の後半からモロに向かい風になった。緩い上り坂で、後方から7-8名のド ラフティング集団にスルスルと抜かれてしまった。強風下なので誰が見ても明らかな ドラフティングだ。抜かれ際に、「ドラフティングだろ、バラケロよ」と叫んだとこ ろ、なんと「こんな向かい風だと、集団ができるのは仕方ないんだよ」と集団の中央 にいた選手に反論されてしまった。 これを聞いて、呆れると同時に逆上してしまい 「そんなこと言える余裕があんなら、先にいけ!バーロー!!」と怒鳴ったため、また またHRが150以上になったしまった。この集団の中には、なんとゼッケン8番 (完全なドラフティング)や女子のエリート選手もおり、トップを狙う選手のモラルの低さに愕 然としてしまった(女子エリート選手の場合、ある程度前と距離を保って前を抜くタイミングを 測っていたようだが、集団の先頭が後方をロッキングしているように見えた。こんな ときは、後ろからひと声発してブロックを解くべきだと思います)。ちなみに、その すぐ先にマーシャルのオートバイを2台発見したので、「しっかり取り締まってく れ」叫ぶと、とすぐに飛んでいって数名のゼッケンに斜線(ペナルティの印)を入れ た。その後も向かい風の中、大きなドラフティング集団に2つほど抜かれた。確信犯 的なドラフティングは、発見次第、即刻失格にして欲しいものだ。 さて。池間大橋の復路から東平安名崎まではほぼ向かい風。ギアを落とし、ケイデン スは100-105rpmから85-90rpmまでに下がり、スピードも26−27km/hrに落ちてしまっ た。この調子で、疲労とともにスピードダウンしてしまうのだろうか。東平安名崎付 近では物凄い向かい風で、ここから七股海岸のアップダウンでも更に脚を使ったの か、臀部から大腿部外側の筋肉痛がひどくなってきた。あと50km以上も、それも向か い風の2周目をのこしてこの体調は辛い。 しかし、上野村から来間島に向かうあたりで追い風になり、来間大橋の往路はまさに 風に乗ってサイコ−に気分よく走れました! この頃になると、雲の切れ間から 「てぃだ」ものぞき、珊瑚の白砂と眩しいばかりのマリン・ブルーがこの世のものと も思えないくらいきれいでした。来間大橋の復路は、一転向かいの烈風になりました が、海上数十メートルからの開放的な絶景に、これまでの辛さを全て忘れて思わず表 情も緩み、気分サイコ−! そんな一時的なリラックスが奏効したのか、臀部・大腿部の張りはいつのまにか気に ならなくなり、2周目に入ってからはKijafaのif9000に跨るサイケデリック仮面の藤 井センセーに抜かれる以外は、とくにビックリするようなこともなく、自分でも感心 するほどにペダルを踏み込めてバイク・ゴールできた。cyclecomputerを見ると、実 走行時間が5時間13分(平均時速約29.7km)でしたので、どす鯉にしては上出来!



さて、この調子でマラソンもいけるところまで行っちまうぞ!と元気よく飛び出した ものの、「いけるところ」を既に過ぎてしまったようで、脚が全く前に出ません。最 初の2kmは5分50秒ペース、なのにHRは158bpm!アカン!いったいこの苦しさはどうし たことだ! これまでの練習の調子からすると、らく〜に走っても5分30秒ペースの はずだったのに・・・。4km地点で23分。最後までこの調子で走れればいいが、そん なウマイコトいくわけがないのだ! 案の定、二つ目のASで立ち止まってしまった。 この調子では必ず途中で脚が完全に止まって歩きになると思い、思い切ってマタワ リ、四股踏みなどの「どす鯉流ストレッチ」をしてエアサロンパスをかけると、あ〜 ら不思議、結構脚が前に出るようになった。とはいえ、好調とはとてもいい難く、 10km地点のASでは57分、HRは140bpm以下まで下がる(つまり、心臓に筋力がついてい かないのか)。それに、さらにバイクだけでなくランまでも、復路のあいだずっと向 かい風の登り基調なのである。天気は回復したものの、それほど気温は上がっていな いはずなのに、異常にエネルギーを消耗する。いつもなら、トップを走る選手や沿道 の交通整理をしていただいている警官、ボランティアの方々に「ありゃ〜とさ〜ん」 とヨロケ声で御礼をいうのだが、今回はその声さえ出ない(あとでラン・パートの写 真をみたが、どれもこれもこれまでにない辛そうな表情で写っていた)。 城辺の折り返し手前の短い登り坂は、なんとか歩かずに上りきった(が、歩いた方が 速かったかも!)。折り返し地点のラップは2時間5分。復路では緩い下りを今度は追 い風に乗り、いつものようにラスト15−10kmほどでSecond wind(突然の復活)に乗 れれば4時間を切れるかもしれん、と少し欲が出た。 ところが、そう思い通りにいかないのがロングのレースなのである。追い風になった 見返りに正面からモロに陽があたって、こんどは体が火照って仕方がない。折り返し て3.5〜4kmほどで、折り返し地点を目指す薄いブルーのウエアを着たマリヲちゃんに 声をかけられた。彼女はまだ元気がありそうだ。時間差は40-45分ほどか。チョッと 油断して脚を止めると抜かれてしまう差だ。ここまで、仕事を適当にして(?) 過去最 高のトレーニング量をこなしてきたのに、同じチームの女性に負けたとあってはどす 鯉の名が廃る! ここからは本当に歯を食いしばるようにして走った。 途中、27-28kmあたりの緩い下りで突如走りが軽快になったので、「脚がもげてもい い」と思ってピッチを上げた。それでも、キロ5分半程度か。しかし、このSecond windも35km手前でピタッと止んで、また重い脚に戻ってしまった。緩い下りにペース を狂わせ、残るエネルギーの殆どを消費してしまったようだ。本当に脚がもげそうに なってきた。
30km地点で、反対側から来る見慣れたブルー・ジャージを発見、「エキップあづみ の」副班長の川上さんだ。「川上さん!」と声をかけた(と思う)が、今回こちらが MIGHTYの見慣れぬオレンジ色のジャージだったためか、「あいつ、誰だ?」とキョト ンとした顔ですれ違ってしまった(ように思えた)。 さらに、すぐあとに向こうの方から同じオレンジ色のMIGHTYジャージの加藤Peさんが トコトコ走って来た。Peさん、向かい風のバイクがニガテなんで、さぞかしくたびれ ているだろうに、表情はにこやかだ。制限時間まで残り5時間ほど。ランの練習が少 なくて少し不安があるといっていたPeさんは、脚が止まっては完走はどうなるか分か らない。しかし、なぜかとっても楽しげだ! 互いに距離が近づくにつれて道路中央 に走り(歩きかも)寄ってくる。すれ違いざまにハイタッチをして、「いよっス!絶 対完走ですよ!」「速いネェ!(こっちも)頑張るよ!」「折り返すと、追い風です から」「ハイよ!」と少しだけ会話を交わして、また別れる。Peさん、キツイだろう にえらい頑張ってるな、と妙に感心すると体の奥底から力が沸いてくる気がした。し かし、その後の走りも5歳児並みのストライドのままで、力が沸いて出てくると思っ たのは気のせいだった。 後ろから超長距離ランが得意のマリヲ女史がすぐそこまで追ってきていると思うと、 強迫観念にも似たプレッシャーがかかり、とにかく早くゴールに入りたい一心で走り つづけた。 往路10km地点のASで、Kijafaの辻本さんや家族が待ち受けて応援してくれた。おお、 ここにいたのか。家族には、あと10kmだから丁度1時間後にゴールだろう、今年は去 年のようにペースを上げられんから、遅くなることはあっても早く着く事はないだろ う、といって別れた。子供たちは、少し緊張した表情で「よしきた!」と思ったよう に見えた。果たしてこの調子で予告どおりにゴールできるだろうか。 去年の宮古島では突如軽快な走りで駆け抜けたラスト10kmも、ことしは初ロングにも 似た重い足取りで歯を食いしばって我慢しつづけて走っている。この苦痛を乗り越え れば、歓喜のゴールが待っている。スリルや絶えがたい苦痛を経験すると「真に生き ている実感」を味わえるらしいが、まさにいまこのときこそ、生きているからこそオ レは頑張れるんだ、と思えてくる。 まっすぐ行けばゴールの競技場に向かう国道を一旦左に曲がり、空港の横の家のない 道を走る。あと4-5kmほどか。交差点の1ブロックごとに、まだか、まだかと思ってし まうこのあたりが最大の踏ん張りどころだ。 平良市街地に入ってくると、沿道の応援も一段と大きくなるが、今回は御礼の返事を するエネルギーもあまりない。腕振りにあわせて、グーパーしたり、Sam upしてみせ るのが精一杯だ。 一生懸命にクイチャ−踊ってくれる子供たち、ありがとうね。声を嗄らして応援して くれるオトウ、おばあ。道端で選手名簿を見て、ゼッケン番号から名前をさがして 「さん付け」で応援してくれるネェネェたち。どす鯉は、今年も頑張ったよ。コース に出てきてタッチを求める子供たちに、タッチすると見せかけて頭をなでまわして過 ぎる。後ろで「ギャハハ、あたまぁ触られた!」とよろこぶ声。 ここまできたら弱音を吐かずに、余力の一滴も残さずゴールまで頑張ろう。 商店街の細い道から一旦広い国道に出て、広く緩い坂道を登っていく。ゴールまで 2kmの表示。ゴールまでまだ2kmもあんのかよ! いつもはスパートをしかける(とい うほどでもないが)距離になっても、今回はペースを落とさずにいるのが精一杯だ。 5差路の交差点を過ぎて、この「残り1km」の登り坂を登りきれば競技場だ。ついた ぞ、オレは勝ったぞ!と、そう思った。沿道の応援の人たちが拍手で迎えてくれる。 頑張ってよかったよ、ありがとう。今年も宮古島大会は素晴らしかった。坂を登った ところにある競技場の門と、そこにいる人だかりの隙間の向こうに、ライトに照らさ れたトラックが見える。先にゴールを目指す選手とその家族か友人らしき人たちがみ える。歓声と、完走者を称えるアナウンスの声が競技場内に響いている(お願いだ、 オレの名前も呼んでくれ!)。 競技場に入った。手を伸ばせは触れる距離に、沢山の応援者が手をたたいて迎えてく れた。お帰り、よく頑張ったと。人だかりの向こうの一番端に、待っていてくれた家 族がみえた。子供たちが、なにやら叫んでいる。上の娘は「お父ちゃん、どうしよ う、どこから一緒に走ればいいの?」と言った顔をしている。下の娘はいたって愉快 そうで、ゲラゲラ笑っている(そんなに嬉しいか? ワハハハ!)。アナウンス席の 前あたりで4人揃って手をつなぎ、アナウンス席に手を振ってから子供たちにゴール まではゆっくりと走ろうと言い聞かせた。1年で最もどす鯉一家が輝ける数秒間だ (と、どす鯉は勝手に思っている)。ゴール。波に乗り、風になった二十歳のストロ ングマン大会の、10時間35分が終わった。 今年小学6年生の長女は、来年の今ごろは中学校に入学したばかりになるので、宮古 島大会について来るのは今年が最後と言っていたのだが、ゴールしてしばらく後に 「お父ちゃん、また来年も出るよね。また皆で来ようね」といった。 その後、マリヲ選手、エキップあづみのの川上師匠がゴールした。そして、大方の予 想を覆して制限時間を45分残し、Pe加藤さんが歓喜の表情で競技場に入ったところで 「MIGHTYの宮古島屁の満」はハイライトを迎たのであった(おわり)。

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